HISTORY
1953.05 -
当時この地域では農業が盛んだった事から、流れに乗るような形で農機具メーカーとしてのスタートを切る。
1955.04 -
農機具は冬場売れなくなるため、フルーツナイフの製造をするようになった事から刃物の製造を始める。
1964.03 -
1965.10 -
1968.04 -
1969.10 -
1970.06 -
1971.12 -
1972.11 -
1973.02 -
1978.06 -
1980.09 -
藤次郎のスタンダード洋包丁として、その鋭利性・耐久性・耐錆性から高い評価を得た。現在に至るまで長く愛されるシリーズ。
1981.09 -
1985.10 -
1988.10 -
1992.07 -
1993.06 -
1994.01 -
1996.03 -
1996.10 -
1998.04 -
2000.04 -
2000.09 -
2000.10 -
当時革新的だった和包丁の刀身とステンレスハンドルの組み合わせは、これまでの木柄和包丁には無かった衛生面と耐久性で高い評価を得た。
2001.11 -
2004.02 -
当時、映画『ラストサムライ』が大ヒットした影響で、海外で日本の刃物が注目されるようになる。そういった時代背景もあり、初出展のアンビエンテで「藤次郎」ブランドが世界各国で認知される事に繋がる。
2005.02 -
2006.09 -
2008.11 -
藤次郎選りすぐりの職人が集まる刃物工房では、日本刀の鍛冶技術を使用した「打ち刃物」を手掛けるようになる。
2010.08 -
2012.02 -
当初は実現不可能なデザインとされていたが、作れない金属製品は無いといわれる燕三条の高い加工技術により、ステンレス刃物鋼を折り曲げることに成功した。
2012.12 -
2013.11 -
2014.03 -
2015.07 -
藤次郎ブランドの認知度の高まりもあり、社名を藤次郎へと変更。新たなステップへの切り替わりとしてブランドイメージも一新する。
2015.07 -
初の直営店として常時900種類以上のアイテムを取り揃える。2Fにはキッチンスタジオも完備。料理教室などが定期的に開催される。
2017.07 -
刃物メーカーとしては国内屈指の工場見学施設となる「藤次郎ナイフファクトリー」「藤次郎ナイフアトリエ」が完成。「藤次郎ナイフギャラリー」と合わせて「藤次郎オープンファクトリー」としてグランドオープン。
2017.11 -
2018.10 -
2019.02 -
2019.06 -
2019.10 -
さらに多くの工程を体感頂けるよう、見学コースを拡張し、イベント時に開放する体験コーナー等も増設。
2023.02 -
藤次郎ブランドの新たな発信拠点として、また、メンテナンスの重要性を伝える場として、直営店「藤次郎ナイフギャラリー東京店」を浅草・かっぱ橋道具街にオープン。
2024.03 -
関西地域初となる藤次郎ブランドの新たな発信拠点・メンテナンスの重要性を伝える場として、直営店「藤次郎ナイフギャラリー大阪店」を難波千日前道具屋筋商店街にオープン。