包丁は庖丁(ほうてい)さんの刀だった
「包丁」は本来は「庖丁」と書きます。この庖丁の「庖」とは料理人のことを指し、「丁」は中国の三国志の時代、魏の国王の惠王に仕えた職人の名前とされています。「庖丁(ほうてい)」さんは中国古代の書物『荘子』に登場し、今から2千年以上も前に存在した、伝説的な名調理人とされています。非常に刀さばきが見事で、何十年も包丁を研ぐことも、刃こぼれさせることもなく数千頭の牛を見事にさばいたと記述が残っており、この「庖丁(ほうてい)」さんの愛用した刀「庖丁刀」が省略され「庖丁」と呼ばれるようになったといわれています。
面白いのはこの包丁の名前の元になった国の中国では、包丁のことを庖丁と呼ぶかというと、そうではなく、「菓刀」や「菜刀」と呼ばれ、いわゆる調理に使う刀を「包丁」と呼ぶのは日本だけの文化のようです。
独自に発達した日本の包丁
もともと人間の文化が道具を使うことから始まり、その道具の一番初めに使用された石器が、現在のナイフ・包丁と同じ用途で使用されていたことから、包丁をはじめとする刃物が人間と関わりが深いのは言うまでもありません。
日本で最古の包丁として現存するものは、奈良時代のものが一番古く、奈良の正倉院で保存されています。包丁自体、研ぎ直して使用する消耗品であったことから現存するものはほとんどなく、奈良時代以前にも包丁は存在していたと考えられています。この最古の包丁の形状は日本刀のようで、柄が非常に長い形をしています。この形状の包丁は江戸時代中期まで使用されており、現在見られる和包丁の出刃や柳刃、菜切包丁と同じような形状の包丁は、江戸時代の中期から後期にかけて完成された形といわれています。江戸時代は世の中が安定し、文化が非常に発達し、それに伴い様々な調理文化が花開き、道具もそれに合わせて進化していったといえます。
明治時代に入ると、文明開化により海外から様々な調理方法とともに洋式ナイフが日本に広まりました。特に日本では牛を食べる風習がなかったため、牛をさばくための洋式ナイフを一般的に、「牛刀包丁(洋刀包丁)」と呼ぶようになりました。
昭和時代に入ると、牛刀包丁と菜切包丁の良いところを一つにし、先端を斜めに落とした形状の文化包丁(剣型包丁)が開発されます。その後この先端部を丸めた
「三徳包丁」が生まれ、家庭での市民権を得るようになります。現在ではこの形状の包丁は日本伝統の形とされ、海外でも「Santoku」と呼ばれ、広く使われるようになっています。
21世紀を迎えた現在、世界的に日本製の包丁の性能が認められるようになり、特に海外の著名なメーカーのフラッグシップモデルシリーズは、実は日本のメーカーがOEM(相手先ブランド生産)で製造していたりします。ちなみに藤寅工業株式会社も、海外のとある有名メーカーのフラッグシップシリーズを製造していたりします。(^_^)ゞ
日本食がヘルシーさで世界的に有名になると同時に、日本で育ってきた「包丁」の伝統技術が認められた瞬間でもあります。私たち藤寅工業株式会社も積極的に海外輸出に力をいれており、その切れ味と製造、デザインとともに非常に高い評価をいただいております。